買収を重ねて伸びてきた会社の要件定義には、ほぼ例外なく「伸ばす」しか書かれていない。売上をいくらにする、シナジーを出す、統合をやり切る。一方で**「この事業を持ち続ける理由がなくなったとき、それを自分から取締役会に上げる」**という一行は、まず入っていない。
買収巧者と呼ばれる会社を見ていくと、違いはここに出る。買う回数ではなく、やめる判断が経営チームの仕事として設計されているかどうかである。
報道された事実:買収と選別を同じ強度で回した20年
マールオンラインの報道によると、HOYA(7741)のM&A戦略が転換点を迎えている。買収による事業拡張と、収益性や戦略適合性を見極めた事業選別を並行してきた同社が、今後は社内の事業資産を生かしたオーガニック成長にも力を注ぐという。
報じられている事実のうち、買い手の立場で見ておく価値があるのは「買った事業を、自社の判断で手放している」記録のほうである。
- 2007年にペンタックスをTOBで連結子会社化し、翌年合併。内視鏡などの医療分野とカメラ・レンズなどの映像分野が加わった
- その映像分野のうち、デジタルカメラ事業は2011年にリコーへ売却。医療分野は継続した
- 2010年にはハードディスク用ガラスメディアの製造事業と関連資産を米Western Digitalへ譲渡
- 2017年に買収したオランダの音声合成ソフトウエア企業ReadSpeakerの事業は、2025年9月に丸の内キャピタルが運営するSPC(特別目的会社。ある案件のためだけに作る器)への譲渡を発表し、同年10月末に完了
- 2019年に買収した米国の眼科手術機器メーカーMID Labsは、2026年10月にカナダのBausch + Lombへの全株式譲渡を発表。外部環境や事業環境の変化を踏まえ、グループから切り離す判断をしたとされる
保有期間を数えると、音声合成が約8年、MID Labsが約7年である。どちらも自社が選んで買った事業を、自社の判断で外に出している。
ここからは公開情報からの推測になるが、この2件は「失敗したから売った」という話として読むべきではない。ペンタックスのように、取り込んだ事業を分解して医療は残しデジカメは出す、という選別が20年にわたって続いている。買う判断と同じ頻度で、持ち続ける理由を点検する仕組みが働いていると読むのが自然である。
なぜ「やめる提案」は現場から上がってこないのか
買い手の多くは、撤退の意思決定が遅いことを情報の問題だと考えている。数字が見えないから判断できない、と。しかし実務で詰まる原因はほぼ構造側にある。
第一に、要件定義が成長を前提に書かれている。 職務記述書に「売却・撤退の提案」が業務として存在しないため、それを上げる行為は職務外の越権になる。評価もされない。
第二に、買収を決めた人がそのまま事業の責任者になっている。 自分が通した投資案件を自分で否定する提案になるため、サンクコスト(既に投じて回収できない費用)が個人の立場の問題に変質する。組織として冷静に捨てられない理由は、だいたいここにある。
第三に、報酬が管掌事業の成長だけに連動している。 事業を手放せば管掌範囲が縮み、報酬も肩書きも下がる。合理的な個人は提案しない。これは人物の資質ではなく、設計の結果である。
第四に、畳んだ人の次の席が用意されていない。 撤退を人事上の敗北として扱っている会社では、誰も最初の一人になりたがらない。
第五に、取締役会に事業を比較する単位がない。 各事業が個別に報告されるだけで、同じ資本を取り合う形になっていないため、「どれを続けるか」という問いが議題として立たない。
この5つのうち4つは、経営者を入れるときの要件定義・報酬設計・任期設計で先に手当てできる。情報システムの問題ではない。
要件定義に入れる一行
実務としては、管掌事業について継続・追加投資・売却・撤退の4択を、毎期自ら取締役会に提示することを職務に書き込む。これだけで、やめる提案が越権から職務に変わる。
書き方として効くのは、4択の提示を「権限」ではなく「義務」として置くことである。権限にすると使わない自由が残るが、義務にすると毎期必ず論点が上がる。
関連して、買った事業がいつ回収できる想定なのかを要件定義の前提に書いているかも確認しておきたい。この点は買った事業が黒字になるまで12年かかることがあるで詳しく書いた。「この席は何年の仕事か」が決まっていない限り、やめる判断の基準も決まらない。
面接で確かめる質問
「撤退経験はありますか」と聞くと、ほとんどの候補者が「あります」と答える。この質問は機能しない。分けるべきは自ら起案したのか、降ってきた撤退を実行しただけなのかである。順番に聞く。
- 「ご自身が立ち上げた、または買った事業を、畳んだ・売った経験はありますか」 — 他人の事業の撤退実行と区別する
- 「その判断を、誰に、どういう材料で上げましたか」 — 材料の作り方に、その人の判断の質が出る。市場の変化か、自社の資源配分か、どちらの言葉で説明するか
- 「上げたが通らなかった経験はありますか。そのあとどうしましたか」 — 通らなかったときに黙るのか、材料を変えて再度上げるのか。4択を毎期出し続けられるかはここで見える
- 「いま振り返って、もっと早く畳むべきだった事業はありますか」 — 自分の意思決定を事後に点検する習慣があるか
4問目に即答できる人は、自分の投資判断と距離を取れている。答えに詰まる人は、サンクコストが個人の問題に変質しやすい。
選考の設計そのものについてはM&A後の組織を牽引する「経営者候補」の採用も合わせて確認いただきたい。
レファレンスで聞くこと
面接の自己申告と突き合わせる前提で、3点に絞る。
- 撤退・売却を本人が起案したのか。 本人が「自分が決めた」と語った案件について、周囲の認識が一致するかを確かめる。ここがずれる候補者は一定数いる
- 起案したときに社内でどう受け止められたか。 反対を押し切ったのか、合意を作ったのか。次の職場でも同じやり方になる
- 畳んだ事業の社員の処遇に、その人がどう関わったか。 見落とされやすいが、買い手にとっては最も重要な一点である。事業を売ったり閉じたりする局面での振る舞いは業界内に残り、次に買収する会社の社員が入社前にそれを調べる
報酬と任期の設計
要件定義に4択を書いても、報酬が成長連動のままなら提案は出てこない。手当ては3つある。
ROICを評価に入れる。 ROIC(投下資本利益率。その事業に投じた資本に対してどれだけ利益を生んだかの比率)を評価指標に加えると、事業を縮めて資本を返す選択が減点されなくなる。売上と利益の絶対額だけで見ている限り、手放す判断は常に自己否定になる。
売却益を含む資本回収額を成果として数える。 事業を良い条件で外に出すことは、買い手にとっては価値の実現である。それが成果として数えられていない会社では、経営者は持ち続けるほうを選ぶ。
任期に判断の期限を書き、その後の席を先に示す。 「3年で4択の結論を出す」と置いたうえで、売却という結論になった場合の処遇を契約段階で決めておく。この一点が抜けていると、どれだけ立派な要件定義も機能しない。売却が決まった事業をクロージングまで誰が経営するのかという論点は売ると決めた事業を、クロージングまで誰が経営するのかで整理している。
着任後100日でやらせること
管掌事業ごとに「いま持ち続ける理由」を1本ずつ書面で出させる。 買った理由ではなく、今日の時点で持ち続ける理由である。この2つは年数が経つほど乖離する。
HOYAの例でいえば、光学技術という軸に各事業がどう効いているかが判断の筋になっている。買い手にとっての実務は、自社の軸を一文で書けるかどうかから始まる。軸が書けない会社では、どの事業も「売上があるから続ける」で残り続ける。
出てきた文書は撤退候補リストではなく、資本の配分表として扱う。経営者が最初の100日で資本配分の言葉を使い始めるかどうかは、その後3年の意思決定の速度をかなり正確に予測する。
なお、買収自体が成立しないこともある。報道によれば、HOYAは2019年12月にニューフレアテクノロジーの完全子会社化を目指し、東芝側のTOBに対抗して1株1万2900円、買付代金最大1477億円を提示したが、東芝機械が東芝側のTOBに応募したことで東芝側が成立し、2020年1月に自社のTOB計画を中止している。案件が流れても、要件定義を先に作っておけば次の案件でそのまま効く。要件定義は案件に付属する書類ではなく、買い手側に蓄積する資産として扱うほうが実務に合う。
まとめ
買収を成長の柱にしてきた会社が次の局面に移るとき、必要なのは買う力の追加ではない。持ち続ける理由を毎期点検し、なくなったときに自分から上げられる経営者である。そしてその人材は、成長だけを約束させる要件定義では採れない。
- 要件定義に、継続・追加投資・売却・撤退の4択提示を義務として書く
- 面接では「自ら起案したか」「通らなかったときどうしたか」を分けて聞く
- レファレンスでは、畳んだ事業の社員の処遇への関わり方を確かめる
- 報酬にROICと資本回収額を入れ、売却という結論になった場合の処遇を契約段階で決める
弊社はPEファンド投資先や事業承継など、非公開の経営ポジションを扱っている。買収後の経営体制づくりについてはM&A後の経営体制に整理している。要件定義の段階から相談いただくほうが、選考は確実に速くなる。
