切り出された事業を買うとき、取得価額を経営者の予算の基準にしてはいけない。 この2つは逆に動くことがあるからである。
安く出てきた事業ほど、立て直して独立させるのが難しい。難しい仕事には、それができる人が要る。取得価額が1億円だから役員報酬は1,500万円まで、という置き方をすると、必要な人に声が届かないまま最初の1年が過ぎる。
報道された事実:同じ売り手から、同じ日に、2つの事業
マールオンラインの報道によると、介護・医療業界向け人材紹介のエス・エム・エス(2175)が、事業ポートフォリオ見直しの一環として2つの事業を手放す。
- 遠隔による特定保健指導などのデータヘルス事業を、エムスリー子会社のメドケア(東京都豊島区)へ譲渡する。当該事業の直近売上高は5億9000万円(2026年3月期)、譲渡価額は1円、譲渡予定日は2026年12月1日とされている
- ストレスチェック事業は、企業向け健康管理サービスのウェルネス・コミュニケーションズ(366A)が取得する。当該事業の直近売上高は1億7900万円(2026年3月期)、取得価額は非公表、取得予定日は同じく2026年12月1日。売り手が当該事業を会社分割して設立する新会社の全株式を取得する形と報じられている
売上規模が3倍以上違う2つの事業が、同じ売り手から同じ日に出る。そして売上の大きいほうの価額が1円である。以下は公開情報からの推測であり、両社の内部の検討を知って書くものではないが、買い手の立場で読むべき点はここに出ている。
価格が付かない理由は、2つしかない
事業に値が付かないとき、理由はおおむね次のどちらかである。
第一に、単体では利益が出ない。 売上はあるが、本体の間接費を負担した形では赤字、あるいは薄利。買い手は将来の赤字を引き受けるので、価格が1円でも「もらう」側ではなく「引き受ける」側になる。
第二に、本体の中でしか回っていなかった。 顧客の入口が親会社の営業網、人員が兼務、システムが本体の共通基盤。切り出した瞬間に売上の前提が消える。
どちらの理由であっても、買った側が解くのは「単体で成り立つ形を作る」という問題になる。これは既に成り立っている会社を買って伸ばすのとは別の仕事である。カーブアウトで管理機能が付いてこないという論点はカーブアウトで買い手が引き受けるのは、事業ではなく「まだ独立していない組織」であるで書いた。ここで述べたいのは、その作業を担う人の値段の話である。
なぜ「その事業の責任者」が引き継げないのか
カーブアウトでもう一つ効いてくるのが、売り手側にその事業の専任責任者がいないことが多いという点である。
ポートフォリオの見直しで外に出る事業は、たいてい本体の中で優先順位が下がっている。優先順位が下がった事業は、専任の役員を置かれない。他の事業と兼務の執行役員が四半期に一度見る、という形になっていく。
つまり買い手が引き受けるのは、社長席が最初から空いている会社である。現場の責任者は残るが、その人は「与えられた予算の中で回す」仕事をしてきた人であって、値付け・投資判断・撤退判断をしてきた人ではない。ここを「現場が残るから大丈夫」と読むと、半年後に意思決定が止まる。
新会社の形で買う場合はさらにはっきりする。会社分割で作られた新会社には、沿革もなければ、過去にその法人で判断を下した人もいない。
買い手の予算が壊れる3つの経路
経路1:取得価額に報酬を紐づける。 「1億円の買い物に2,000万円の社長は置けない」という議論が社内で通ってしまう。しかし報酬が対応するのは買値ではなく、解く問題の難易度と、失敗したときに失う金額である。
経路2:売上規模に報酬を紐づける。 売上2億円の事業だから相応の処遇、という決め方も同じ誤りである。売上2億円を単体で成立させる仕事と、売上200億円の既存事業を前年並みに回す仕事とでは、前者のほうが難しいことがある。
経路3:本体の役員報酬テーブルをそのまま当てる。 子会社の等級表に収めようとした結果、外から呼べるのは本体の部長級だけになる。ここで妥協すると、独立化の期間が2年から4年に延びる。
基準を置き換える:何に対して払うのか
実務で使える置き換えはひとつである。取得価額ではなく、「独立させ切るまでの年数 × その間に失われうる売上」を基準にする。
さきほどの2つ目の理由(本体の中でしか回っていない)に当たる事業では、切り出し後に顧客が離れる。離れる分を止められるかどうかで、3年後の事業規模が変わる。止めるのは人である。だから、止められる人の年収と、止まらなかった場合の損失を並べる。 この比較を取締役会の資料に載せれば、経路1と経路2の議論は起きない。
回収までの時間軸をどう置くかについては、買った事業が黒字になるまで12年かかることがあるも併せて読んでほしい。
面接で確かめる3つ
カーブアウト先の経営を任せる相手には、次の順で聞く。
- 「親会社の看板や共通基盤が外れた状態で、売上を維持した経験はありますか」 — 伸ばした経験ではなく、前提が消えたときに止めた経験を聞く。新規事業の立ち上げ経験と混同しない
- 「その事業の値付けを、ご自身で決めたことはありますか」 — 予算の中で回した人と、価格を動かした人を分ける。カーブアウト後の単体黒字化は、ほぼ値付けの問題になる
- 「間接部門がない状態で、何を自前で持ち、何を買いましたか」 — 経理・人事・情報システムを一から並べる局面で、全部を内製しようとする人はコストで詰まる。判断の記録があるかを見る
レファレンスで聞くこと
候補者本人ではなく、その人の下で働いていた管理部門の人に当たるのが効く。カーブアウト直後に最も負荷がかかるのは管理側であり、そこで評価が割れていなければ、独立化の実務を通した人である可能性が高い。
聞く内容は「成果」ではなく「決め方」でよい。決裁が止まらなかったか、判断の基準が途中で変わらなかったか。この2つは、前提が崩れる環境での仕事を経験していないと揃わない。
契約と、着任後100日
報酬設計では、単体黒字化の達成時期を報酬の条件に入れるかどうかが論点になる。入れる場合、期限を短く切りすぎると、値付けを下げて売上だけ守る動きが出る。黒字化の年限と、その時点の顧客数の両方を条件に置くのが実務的である。
着任後100日は、独立化の作業計画より先に**「何を失いつつあるか」の把握**に充てるべきである。売り手の共通基盤から外れる日が決まっている以上、失われる順番は読める。順番が読めていれば、止める対象を選べる。
当社はPEファンド投資先や事業承継など、非公開の経営ポジションを扱っている。切り出した事業に誰を置くかで迷っている段階からのご相談も受けている。要件定義の手前で論点を整理したい場合はM&A後の経営体制をご覧いただきたい。
